ちょうどテレビでやってて見てたら
途中で仕事クビになって、疲れちゃった。っていうセリフがスルッと入ってきちゃって。
なんだろうね。あのフッと我にかえる感じ。
当時はずーーーーっと思ってたことだから
体のほうが先に反応しちゃって。
苦しい感じが戻ってきて。
別に誰かの役に立ちたいとかもう思うのも諦めてたのに、
やっぱりどこかで役に立ちたい…というか、生きてる意味を求めてるんだなぁ…と気づかされ。
死ねないから生きてるだけなんだけど、
ただ生きるだけでお金が必要で。
でもそれを思うように生み出せなくて。
今も疲れてる、なーと。
今のほうが会社員として仕事してた時よりは肉体的にも精神的にもかなりマシだけど。
なんというか、ちょうど認知行動療法の方で実家に戻るを想定してカウンセリングを進めてて少し思い出したことも重なって。
うちって他人に対して希薄な家だったなぁと。
今日何があったとか、どうしてそうなったとか、ほとんど聞かれた記憶がない。
干渉してこなくて楽だったけど、放置に近いというか。
家事や世話みたいなのはしてたほうだと思うけど、心の方の繋がり?というのか。
なにかあっても自分から言わなきゃ聞いてくれない。し、聞かない。
言っても 一言 凄いね。といってくれはするけど、
何をどうしたとか、どうして興味持ったとか、そういうことは向こうから聞かれたことはほぼ記憶にない。
だからこっちから言わないと会話終了。別の話に行く。
言わないことは言いたくないこと、だから聞かない。みたいな
普通の会話でも、興味がないと生返事だけがよくあったなぁと。今でも。
珍しく何か問われても、私の返答が自分の希望と違うからか、聞いてきたくせにスルー(返事なし)とか。
恐らくただ声をかけるきっかけがなくて、不要な問いかけをしただけの可能性が高いけど。
今でもたまーにメールや手紙が来ると、冒頭に元気ですか?という問いだけで、あとは自分の話がちょろっとどうでもいいことがかかれてるだけ。
聞いてほしいことあるのにな。でも言ってもどうせ軽ーく触ってスルーされるだけ。
それがわかってるから最近は返事もしてないけど。
メールや手紙は数か月に一回くらい送られてはくるけど、
ごく稀に 心配です!一言でも返事して!とか書かれてるけど
ほんとに心配してんの?って。
心配ならこっち来るなり電話するなり実際に行動したらって思うのはおかしいだろうか?
鬱って診断されたって初めていったときに、一度だけ来たり電話してきてくれたことがあった。
でも、ほんと、それだけ。
来てくれたのだって、家までじゃない。たどり着けないからって東京まで。
しかも、行ってビックリ!妹(叔母)連れ。
何度か行く前にやり取りしてたけどそんなこと伝えられてない。その妹も東京の友達と合流して、なぜか全員でお昼を食べることに。
知らないおばさんと叔母そして母親に囲まれ、頭痛やしんどさの体調不調がある中、気を使いながら人ごみの多い都内で昼食食べるっていう…あれはマジで疲れた
脱線
親的にはいろいろ聞かれるのはうざいだろうから自由にしてなよ、あんたなら大丈夫、信頼してるから。ってことだったんだろうけど
今思えば
信頼とは感じない。
それはただの無関心だ。
結局一番 理解して 寄り添って ほしかったのは母親だったんだなぁと。
万引き家族を見てなんかいろいろ思ってしまった。
やっぱり突然、疲れちゃったは襲ってきて。
痛みも苦しみもなく消えられたらいいのになと。
日々お金だけ消費している ツラタン。